繰り返すセコイズム。

せこくつつましく、セコ充を目指してセコ活をしています。

無題

ようやく、我が街にも「アベノマスク」が到着した。何とも言えない微妙なタイミングである。

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今さら「マスク来たよ!ほら、マスク!」と周囲に言ってみても、旬は逃している感じだし、すでに夏のような気候になってきたので、この布マスクをするには暑苦しい。使い捨てマスクも(品質はともかく)かなり値下がりしてきたし、会社で支給されたり自分で購入したりで、使い捨てマスクの備蓄も400枚くらいになったので、もはやアベノマスクの出番はない。丁重に、首相官邸に返送するか、あるいは回収ボックスかどこかに寄付をするしかない。残念だが仕方ない。

それにしても、この「新しい生活様式」という言葉が好きになれない。「新しい日常」も同じである。「ウィズ・コロナ」という言葉はもっと好きになれない。テレビやラジオのキャスターが、はしゃいだような口調で「ウィズ・コロナ!」とか喋っているのを聞くと、なんだか具合が悪くなってくる。そもそも好きになる必要はないのだが、もっと他にしっくりとくるセンスのある言葉はないのかな…といつも思ってしまう。けれども、なかなか思いつかない。いったい誰が考えたのだろう。やっぱりお役所の人たちの仕事なのだろうか。

 

勤務先は6月以降も在宅勤務と出社勤務を半々ずつの併用で、電車に乗って実際に出勤するのは月に半分くらいになりそうだ。

在宅勤務の時は、運動不足解消も兼ねて、朝は駅まで歩いて、駅前のスペースでちょっと読書をし、また歩いて帰ってくる。4月以降、ずっと続けている習慣だ。

しかし、6月に入ってからというもの、朝の散歩では5月以前までとは違う街の姿が見られるようになった。小学生が友達らと登校をする姿がある。制服を着た高校生らが駅に吸い込まれていく。そういえば、駅を利用している人たちも、ぐっと増えた。ちょっと前までは駅につながる道は閑散としていたが、今は駅に向かう人の姿も増えた。散歩を終えた私は、その道を自宅に向かって逆方向にぶらぶらと歩いていくものだから、ちょっと気まずい。

窓を網戸にして、自宅でパソコンに向かって仕事をしていると、近所の幼稚園からは子供たちの挨拶の声が聞こえるようになった。大きな声で笑い、楽しそうに遊ぶ声が聞こえてくる。

それらの風景や日々の音は「新しい日常」なんかではないのだ。