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Amazonプライムでアジア映画(24)『アクト・オブ・キリング』『ルック・オブ・サイレンス』とインドネシア大虐殺を考える

元旦から、インドネシア大虐殺をテーマにした映画と本である。新型コロナが感染拡大なので、初詣にも行かず、自宅で大虐殺の映画である。他にすることもないので、感想まで書いている。いったいなぜ、新年早々からこれらの映画を見てしまったのだろうかと、見終わった後に暗澹たる気持ちになってしまったが、時すでに遅しだ。気を取り直していこう。(※2021年1月時点のAmazonプライム特典視聴情報です) 

アクト・オブ・キリング

アクト・オブ・キリング』は、それはもう、公開当時には大きな話題になったドキュメンタリー映画で、インドネシアの民間人らが「共産主義者」のレッテルを貼られた人たちを次々と虐殺したという事件を題材にしている。加害者側の人間に取材し、インタビューのみならず、当時の殺害の手口を再現させるという独特の手法を用いている。殺害の再現に加害者側自らが立ち会うことで彼らの心理が大きく動き、インタビューで構成されただけのドキュメンタリー作品という範疇を飛び出して、ドラマを生み出している。 

ひとことで言うと、とにかく「胸糞の悪くなる」場面の連続だ。加害者側は、虐殺という行為を自らの手柄のように語り、喜々として殺害の手口をカメラの前で再現して見せる。
虐殺を行った人間たちは「プレマン」と呼ばれ、良く言えば民兵だが、実際には街のゴロツキでありヤクザのような存在も混ざっていた。そのあたりのインドネシアの当時の政治状況は、倉沢愛子氏のこちらの記事にゆだねるとして、彼ら「プレマン」は国軍の力をバックに共産主義者の虐殺を引き受け、事件から五十数年を経た今も、権力者側と親しく付き合って一定の力を保っている。当時のリーダー的な存在ともなれば、どこぞのヒーローでもあるかのように、幅を利かせて暮らしている。しかし一方、「共産主義者」として虐殺された被害者家族らは、今も息を潜めて暮らしている。憎しみも口に出すこともできず、感情を押し殺し、加害者と同じ町で生きていかなければならないという現実がある。

『ルック・オブ・サイレンス』

そして『ルック・オブ・サイレンス』は、被害者家族からの視点で描いた作品。『アクト・オブ・キリング』を対をなす。 

ルック・オブ・サイレンス

ルック・オブ・サイレンス

  • メディア: Prime Video
 

 虐殺で兄を殺害されたアディという眼鏡技師を通して、加害者側に迫っていくのだが、アディが加害者に罪を問う場面はとてもスリリングだ。アディに問い詰められた加害者側は、話を打ち切ろうとしたり、しどろもどろになったり、カメラを止めるように怒り出したり…と、その反応には、自分の過去の行為を正当化しきれないという罪悪感と後悔が、少なからず、かいま見えたりする。
被害者家族と加害者の対話が、何かを生み出すわけではない。虐殺という罪を認めるわけでもないし、仮に加害者側が認めたとして、それでアディの心が晴れるかといったら、たぶん、そうはならないだろう。世間的には『アクト・オブ・キリング』がセンセーショナルな印象を与えたが、私としてはこちらの『ルック・オブ・サイレンス』に強い印象を受けた。

この映画は、安易に答えを出せない倫理を喉元に突き付けてくる。私自身が虐殺者側と同じ立場に置かれたら、どう振る舞うだろうか?加担しなければ、自分が殺される側に立つかもしれない。いったいどうする?映画を見ながら、ずっと、その問いが頭の中を巡っていた。

インドネシア大虐殺 二つのクーデターと史上最大級の惨劇』

アクト・オブ・キリング』『ルック・オブ・サイレンス』の2本の映画の背景を知るには、インドネシア現代史の第一人者である倉沢愛子氏の著作が最適。いずれも2020年に刊行されたもの。

タイトルはインパクトが強いが、中身を読んでいくと、大虐殺前夜の政治状況から、クーデター、共産主義者の虐殺、スカルノ体制からスハルト体制への移行、スハルト体制の終焉…と、インドネシアの現代史が分かりやすくコンパクトにまとまっている。デヴィ夫人といえば、今やバラエティー番組の人というイメージしかないが、彼女が「デヴィ・スカルノ」だった頃、スカルノ体制の維持のために奔走していたんだな…ということも分かる。

『楽園の島と忘れられたジェノサイド バリに眠る狂気の記憶をめぐって』

衝撃度では、こちらの本の方が強い。陰惨な描写もちらほらと…。しかし、中身は分かりにくい。著者ご自身があとがきで述べておられるが、カタカナの組織やら登場人物やら地名が多すぎて、途中で何が何だか分からなくなる。地図は掲載されていたが、登場人物リストや組織の図表など、本作りのレベルでの工夫が欲しかった。
今や日本人にも大人気のリゾートであるバリ島もまた、共産主義者の大虐殺の舞台となった。
海岸や道路沿いの椰子の林の間には数多くの集団墓地があり(埋葬が追いつかないほど殺されたということだ…)、そして、その墓地はサファリパークなどの観光客のための行楽地に作り替えられ、トラクターが「歴史を浄める技術」として働いているという。島民の多くが観光に依存しているため、過去の歴史が明るみに出てリゾート地のイメージダウンにつながることを避け、加害者も被害者も黙殺をするしかないという矛盾の中にある。
…って、こんな本を読んでしまったら、自分はバリ島に行くことはないだろうな…(そもそも縁がなさそうだけど)。虐殺で亡くなった人たちの魂の上で、観光を楽しめるわけがない…。