Amazonプライムでアジア映画(18)ブノン:最後の象民族(カンボジア)
アジア映画が好きである。Amazonプライムの特典で、どれくらい自分好みのアジア映画を見ることができるのか、外出を控えつつ、自宅でセコ充を目指してセコ活しがいのあるテーマである(※2020年8月時点のAmazonプライム特典視聴情報です)。
アップリンクとイオン系映画館の一部で公開されている『ボヤンシー 眼差しの向こうに』は、とにかく見ていてツラくてツラくてたまらない1本だった。タイでは人身売買まがいで不法入国のカンボジア人やミャンマー人を雇い、非人道的な環境下で水産業が行われているということは、聞きかじったことがあった。そうした過酷な水産業に従事している人は20万人とも言われ、映画『ボヤンシー』はカンボジア人の少年の目を通して、そうした水産業の非人道性を告発する映画だったともいえる。
これらの2本のニューズウィークの記事は、いずれも2014年のものだが、パイナップル工場の仕事と言われたのに船で連れ去られる、船の上で「行方不明」になるといった殺人行為は日常茶飯事、屑魚はすりつぶされてペットの餌にする…等々、記事の内容は映画『ボヤンシー』の背景そのまんまだ。ツラい、ツラすぎる。
というわけで、ちょっと気難しすぎる長い前置きになったけど、前回に続いて、今回もドキュメンタリー作品。カンボジアの少数民族・ブノン族(一般的には「プノン」と呼ばれる)を描いた作品。
プノン族は象と暮らすことで知られていた民族だが、今は生活スタイルを大きく変えて暮らさざるを得ないらしい。物語は、かつて飼っていた象を失ってからは抜け殻のような人生を送っている老人と、同じく飼っていた象を売り払ったものの、その後の象の行方が気になって探し続ける女性の姿を追いかける。
希少となった象を捕らえて生活のために飼うなんていうことは、現代の価値観からは許されないことなのかもしれないが、生活のために象を捕らえていた彼らを、今の価値観を当てはめて罪だと責めることができるだろうか(彼らは必要以上の象を狩っていたわけではないのだ)。カンボジア国内の企業が森を侵食して象たち森から追いやったり、クメール・ルージュが道路開発の労働力としてプノン族から象を取り上げ、あげくのはてには食料にもしていたということの方が、罪が重いのではないだろうか。
ここでもうひとつ先に考えを巡らすと、森を侵食しているカンボジアの企業は、我々のような先進国の下請けの企業であるかもしれず、我々の生活の一部は彼ら安価な労働力を享受しているかもしれず、そうやって巡り巡って、我々も森林破壊の一端を担いでいるのかもしれない。ふだん、そういう都合の悪い真実を知ることは避けがちだけれども、こうしたドキュメンタリー作品を見ていると、たまに、喉元に疑問を突き付けられ、単純に善悪の判断をできなくなることがある。
そして、冒頭の『ボヤンシー』の話題に戻る。我々の近所のスーパーマーケットに行けば、水産加工の缶詰の棚にはタイが原産国のものが並んでいるし、我々がバンコクへ旅行をすれば、海老などのシーフード料理をおいしいおいしいと舌づつみを打つ(私自身もその一人だ…)。その背景には、奴隷同然の扱いで水産業に従属する人たちがいるという現実を、喉元に突き付けられることもなく。
(また見たい度(★1~5) ★★)
箇条書き美術展めぐり OKETA COLLECTION : A NEW DECADE(スパイラル)
「新しい生活様式」の下での美術鑑賞 ( II )
先日訪問した、上野の東京藝術大学美術館の企画展「あるがままのアート 人知れず表現し続ける者たち」。とても良い企画展で大満足だった。無料、そして日時指定予約制。今や美術館観覧ではスタンダードになりつつある日時指定予約制は、たしかに「密」を避けることができるので、比較的、安心して観ることができる。
この展覧会でもイーティックスの仕組みを使っており、予約は会員登録などの必要もなく、観覧料も無料なので、すぐに予約ができる。チケットの代わりとして、購入時のメール宛てにQRコードが送られてくるので、それを現地で読み取ってもらうだけで良い。非接触なので、チケット確認のスタッフも観覧者側も、より安心だ。とても優れた仕組みではあるのだが、しかし、展覧会を見るためには「スマホ」が必須となる。
ちょうど私が訪れた時、私の前には散歩のついでにふらりと美術館に立ち寄ったと思われる老夫婦が並んでいたのだが、どうやらスマホを持っていないため、展覧会を見たいのに見ることができないという場面に遭遇してしまった。老夫婦に応対していた女性スタッフも「スマホがないとダメなんですよ」と繰り返すばかりで、それはそれで気の毒な光景だった(電話予約なども受け付けていない展覧会だった)。
前にも一度記事を書いたけれど、今までは、美術館の窓口にいって現金を払えば誰でも画を観ることができたのに、「スマホを持っていないから」という理由だけで切り捨てられてしまうという現場を目撃してしまうと、かなり複雑な気持ちになった。「新しい生活様式」とやらの下では、こうした事例は他にもあるのかもしれない。たとえば、非常事態宣言下の春頃には、「リモートワーク」が上手くできない人を小バカにするような記事をたびたび見かけて、嫌な気持ちなることも多かった。
飲食業や観光業が大きなダメージを受けていることは目に見えて分かりやすいが、他方では、我々の目にふれにくいところでも、「新しい生活様式」が続く限りにおいて、これから先もどこかで誰かが切り捨てられていくのかもしれない…。flexaret4.hatenablog.com
箇条書き美術展めぐり あるがままのアート 人知れず表現し続ける者たち(東京藝術大学美術館)
久しぶりの上野。久しぶりすぎて、上野駅の公園口の出口が分からなくなってしまった。 それもそのはず、3月20日に公園口は移設されて生まれ変わっていたのだった。3月から新型コロナの感染拡大で上野の博物館美術館などは休館になってしまったものだから、改装後の公園口を使うのは初めてのことだったのだ。改札を出てすぐの横断歩道がなくなり、そのまま上野公園内に入ることができて、なかなか良い感じ。
東京藝術大学美術館の企画展。無料。そして、日時指定予約制。新しいなんちゃらという様式に沿って、今やもう、予約制は美術館のスタンダードになりつつあるようだ。
NHKの番組「人知れず 表現し続ける者たち」とタイアップした企画展で、いわゆる「アール・ブリュット」とか「アウトサイダー・アート」と呼ばれる、正規の芸術教育を受けていない人たちが生み出すアートがずらりと並ぶ。
- 障害とともに生きる人たちの作品も多く、彼らは生活する上ではハンディキャップはあるだろうが、創作において煌めくような才能を発揮する。細密な画を描いたり、刺繍や切り紙などの細かい作業を粘り強く続ける才に長けている。すごい。
- アート作品を見る側にとって、理論とか何とか小難しいことは時として要らないよな…と思ってしまう。ストレートに心に響く…というか、驚きである。
- 会場は一部を除いて撮影OK。他にももっと載せたかったけど、できれば実際に会場に足を運んで見ていただくと面白いかもしれない。リピート訪問したい。
Amazonプライムでアジア映画(16)草原に黄色い花を見つける(ベトナム)
アジア映画が好きである。Amazonプライムの特典には、香港(主にアクション)や韓国の映画はいろいろあるけれど、他の地域のアジア映画をどのくらい見ることができるのか、これはできるだけ外出を避けつつ、セコ充を目指してセコ活しがいのあるテーマである(※2020年7月時点のAmazonプライム特典視聴情報です)。
ベトナムでも大ヒットしたという『草原に黄色い花を見つける』。舞台は1989年のベトナムの農村。素朴で青々とした風景の中での、きゅんとするような初恋映画である。こういう映画は、国の違いに関係なく、分かりやすく共感が出来て良い。日本でも、もっと年配の方たち…地方の農村風景が素朴だった頃に育った人は、より共感を強めるんじゃなかろうか。
ティエウとトゥオンはとても仲が良い兄弟。思春期を迎える兄ティエウは、同級生の少女ムーンが気になって気になって仕方がない。そんな中、水害やら火事などの不幸が重なって、ムーンが兄弟の家に身を寄せることになる。
弟トゥオンは、お姫様が現れて自分が王子様になることを夢見るような純粋無垢さと、優しさと利発さを兼ね備えた出来の良い弟である。それに比べて、兄のティエウが特別ダメというわけではないのだが、戦争ごっこの真似ごとをしては降参のふりをしてからの不意打ちで弟に怪我をさせたり、挙句には、トゥオンとムーンの仲の良さに嫉妬して、ままごとをしている二人が自分に内緒で鶏肉を食べていると勘違いをし、トゥオンを太い木でぶん殴って歩行不能という大怪我をさせてしまう。そんな兄が両親に叱られてはいけないと、トゥオンは「叩いたと言わないで、木から落ちたと言って」と兄をかばうのである。トゥオンの優しさたるや、私が少女ムーンなら、トゥオンに惚れてしまうだろう。(ティエウの名誉のために言っておくならば、ちょっとそそっかしくて頼りなさはあるものの、本当は弟にはとても優しい兄であり、トゥオンはティエウの懸命な看病やサポートもあって、回復しました…)
と、まあ、そんな感じで、「おいおい、お兄ちゃん、もっとしっかりしてくれよ!」というもどかしさを感じさせつつ、美しい田園風景の映像も重なって、清々しい後味を残してくれる佳作なのだった。
(また見たい度(★1~5) ★★★★)