繰り返すセコイズム。

せこくつつましく、セコ充を目指してセコ活をしています。

タイの社会と現代史を違う角度から見てみる3冊

富田克也監督の「バンコクナイツ」という映画があり、この映画の中ではタイの詩人ジット・プミサクの詩が引用され、そしてジット・プミサクの幽霊が出現し、その幽霊役をタイのバンド「カラワン」のリーダーであるスラチャイ・ジャンティマトーンが演じている。プミサクもスラチャイも、1960年代、70年代に、タイ軍政下で反政府活動に身を投じた人たちだ。彼ら共産主義コミューンは、タイの東北地方(イサーン)を拠点に活動し、その拠点はしばしば「森」という言葉で語られた。 

タイに何度か足を運ぶうちに、観光ガイドを読むだけでは物足りなくなり、古書などでこうした本を探して読むようになった。はじめは興味本位で何となしに読んでいたのだが、こうした本を読み重ねていくと、タイの現代史や社会や文化などを違った角度から知ることができて面白い。

f:id:FLEXARET4:20200720232720j:plain

『ジット・プミサク 戦闘的タイ詩人の肖像 』

タイの反体制派の詩人ジット・プミサクの詩と、プミサクに近い人々の語るエッセイなどで構成される。プミサクは、「タイ」という言葉には本来「自由」という意味があるとし、軍政下でのタイという国が「自由」を失い、民衆から人間性を奪っていくことに危機感を覚え、それを詩作に展開していった。そしてプミサクは、反政府活動に身を投ずべく「森」へと入るも、1966年、政府軍によって射殺される。わずか35年の人生。

プミサクの詩の根底にあるのは、人間性や自由への渇望であって、現代にも通じるような普遍性を随所に感じられたりする。

 『カラワン楽団の冒険 生きるための歌』

タイの音楽には「生きるための歌」(タイ語では「プレーン・プア・チーウィット」)と呼ばれるジャンルがある。カラワンは、その生みの親ともいえるバンド。バンドのメンバー、ウィラサク・スントンシー自身によるカラワン回顧録と、メンバーの一人モンコン・ウトックのインタビューなどから成る。

学生バンドだった彼らがコンサートのためにタイのあちこちを巡り、やがて「森」での反体制運動に投じるまでの青春記として読んでも、とても面白い。また、「森」の内側で活動していた彼らの葛藤の記録としても、とても面白い。葛藤は、反政府活動がやがて中国共産党の影響が濃くなるにつれ、毛沢東主義に矮小化されていく過程で決定的な違和感となる。

カラワンのリーダー、スラチャイの「ぼくは芸術家として詩をかいたり、歌をうたったりするけど、コミュニストじゃないよ。むしろアナーキストといったほうがいい。コミュニストというのはタイの政府がきめたこと」という言葉が、彼らのスタンスを的確に表しているのかもしれない。カラワン楽団に興味を持ったら、スラチャイの書いた『メイド・イン・ジャパン』というカラワンの日本滞在記と小説から成る1冊もおすすめ。

f:id:FLEXARET4:20200720232743j:plain

『タイ・演歌の王国』

こちらは前の2冊と毛色が変わって、タイの歌謡曲でもあるルクトゥーンとモーラムについて書かれた1冊。タイの地方の音楽を辿りながら、中央(バンコクなどの都市部)と地方=タイ東北部(イサーン)、富と貧困…といった社会構造を浮かび上がらせる。

そういえば、バンコクでタクシーに乗った時、運転手さんがやけにメロウな歌をラジオで流していた。「これって演歌っぽいな…」と思ったあの曲が、ルクトゥーンだったのだろう。そして、運転手さんは東北地方の出身者だったのかもしれない。

タイ・演歌の王国

タイ・演歌の王国

  • 作者:大内 治
  • 発売日: 1999/10/01
  • メディア: 単行本